旧ライフハック心理学

心理ハック

iPadでEvernoteに書く

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Evernoteの利用者が全世界で300万人を超えたようです。確かに便利ですからね。

iPadを買って、外付けキーボードも買って、最初に入力したのがEvernoteでした。本当に便利です。私が最初、ポメラに期待したことが全部できている気がします。

どこでも利用できるサイズと重さの、使いたいときにすぐ使えるがジェットに、するする文章を入力してしまった後が問題です。それをどうやって、取り出しましょうか?

と、考えるようであってはダメだと思うのです。そんなこと考えたいという人は、誰もいないはずです。まして文書を作るという仕事は、水道をひねればアイデアが加工されて流れ出てくる、というようにはいかないものです。

私の仕事には、芸術的なひらめきや、学術論文ほどの精緻さや、辞書を作るときのような膨大な資料整理は必要ありませんが、間の悪いタイミングに苦々しい現実が進入してきたりすると、膨大な時間を無駄にすることになります。

たとえばそうですね、「今日は書籍原稿の3章の3を書いてからブログを書くぞ」という心理がセットされたとたんに妻がバファリンルナを探し始めて娘がうんちをうったえたりする。これに対応することはできますが、そうする必要を意識したとたんに、3章の3を書けなくなったりすることがあるのです。アイデアは保存しておけているのに。

文章を書く上では文章を書くこと以外には一切何事も考えたくない、そう強く願う文筆家は大勢いると思います。そんな想いを持っている時間には個人差があって、私はせいぜい日に1時間です。他の時間には、娘の相手をするのも、妻の薬を買いに行くのも、何でもOK。でもこの1時間がなくなったら、職を変えねばならなくなるでしょう。

その1時間を得る可能性を飛躍的に高めてくれているのが、今のところiPad×Evernoteという組み合わせです。Evernoteにはものを書くための材料がおさまっており、そして、書く気が高まったらEvernoteに書いておけばいい。「パソコンに続きを書くにはコネクタを・・・」とか「ポメラで書くにはあの資料をパソコンから・・・」と考えるようではダメなのです。全然ダメなのです。

ものを書く気持ちが純粋に高まってきた時をうまく喩えるのは難しいのですが、あえて喩えるなら、寝苦しい夜に2時間ほど格闘して、ようやく寝入りそうになれているときの感覚です。このときに起こされたら、よほどの理由がない限り、腹が立つでしょう? 電話が鳴ったり、暴走族がパラリラを鳴らしたり、目覚まし時計が間違ってセットされていたり。

「書く・・・!」という感覚をつかんだときに「資料が・・・」となるのは、そういう感じなのです。「続きを書く・・・!」というときに「そういえば途中までポメラに・・・」というのも、そういう感覚なのです。

以上は別に、ポメラがダメである、という話ではないのです。デジタルメモツールとしては、いいツールだと思います。ただ、何も考えずともいつでも使える状態になっているということを、どうしてそれほど重視しなければならないかということについて、説明しておきたかっただけです。

ポメラがなければ、こういう比較も議論をする方法もなかったかもしれません。いわゆる「モバイルツール」では結局のところ、私には仕事ができないから(ネットブックとか大好きですから楽しいけれど)、私は引きこもりみたいな生活を送っているわけです。