旧ライフハック心理学

心理ハック

061 最近疲れがなかなか取れない方へ – Sleep Cycle

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睡眠というのは現代において、何か決定的な意味を持っている気がしてなりません。何しろ精神力を使うことが多くなっていますので、「精神力」の定義はムリにせよ、これを「回復」させるほとんど唯一の時間が睡眠時間だと、私には思えます。

クスリとかマインドハックとかショートスリーパーとかそのほか諸々の「短時間睡眠法」の一切を私は信じる気がしません。たとえ偏見であっても、です。せいぜいが、「ちょっとの間なら無理はきくかもしれない」という程度のことで、その「ちょっとの間」も二日にとどめるべきだと思っています。

その「睡眠」に手を入れるのはしたがって個人的に好きではないのですが、睡眠時間を正確に測ることと、どういった睡眠が、覚醒時にどういう影響をおよぼすのかは、知っておきたいところです。

Sleep Cycle Aram Clock

書籍その他で、何度か紹介しているアプリですが、これが不思議なくらい面白いアプリです。前述の「正確な計測」のために私はこのアプリを使っています。

App Store – Sleep Cycle alarm clock

最近までのかなり典型的な波形は、こうでした。夜9時に寝るようにして、朝4時に起きたときのパターンです。

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はっきり言って夜けっこうトイレに起きてしまうタイプです。とにかく波があります。深くなったり浅くなったり。総じて眠りが浅い方だと思います。

しかしここ数日はまったく波形が変わったのです。こんな感じです。

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眠りが深いです。そしてまったく起きていません。たしかにトイレに起きていません。たぶん寒くなって水分摂取量が少し減ったこととも関係があるのでしょう。

それにしてもこんなに深く眠るということは、私にはなかなかないことだったともいます。その証拠に、夢を見ない。そうではなくて、覚えていないのです。

私は夢ログを可能な限りつけるようにしています。その試みは失敗に次ぐ失敗でありますが、少なくとも「夢を見ること」にだけは成功していました。それがここ2〜3日は、夢見ること自体に失敗している感じです。

そして寝起きがスッキリしないのです。長く深く眠っているというデータなのに、寝起きがスッキリしないのです。これをどう解釈するかはなかなか興味深いところですが、主観と客観がこのようにずれているとわかる点にこそ、記録をとる意義があるのだと思っています。

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060 「異常であること」読む意味

私たちの飢えと病のすべてを鎮めてくれ、惨めな状態から解放してくれるものとして神秘の物質とか奇跡の薬などが心のなかに浮かびあがるのは、このようなおとしめられた形而上学からである。これはまさに「生命のエリキシル」のメタファーといってよい。このような考えや希望は、古代の魔術と変わらぬ神秘的な力をこんにちでも充分に保っており、いくら認めまいとしても、ふだん使っていることばのなかにひろく浸透している。「ビタミン」(生命力のアミン)とビタミン信仰、「生命力を与えるアミン」などがそうであり、ドーパミン(生物活性のある物質で、L・ドーパが変化したもの)じたいもこのひとつである。

私達は単なる正常性をあまり尊ばない一方で、正常を取り戻してくれる時のクスリは大好きですし、「正常性を増大してくれるクスリ」の人気も絶大です。

現在であっても、怪しげではなくほぼ万人に効果があって、その効果を少なくとも自覚はできて、かつ宗教的な意味における「プラシーボ」でもない「脳に効くクスリ」といえば、昔からあったものばかりです。

つまり、アルコールとニコチンとカフェインなのです。いずれも大量にとることによっていいことはほとんどなく、大量にとるのだったら水にした方がずっといいでしょう。ただしそれを喜ぶ人は決して多くはないのですが。

ふだんの「正常」を記述するべく努める

正常であることを、「異常でないこと」でしか記述できない人は多い。

状態を動作で記述すること – レジデント初期研修用資料

そう言われても、難しいのです。わたしたちは明らかに、単なる正常性をほとんど喜びません。「エリクサー」を飲むより水を飲んだ方がいいと頭でわかる年齢になってもなお、できればきちんとデザインされたラベルのボトルを買います。それも値段の高い方が「効果」が大きいと思い込まされているのです。

『レナードの朝』のような本の意義は、「正常性」というものがほとんど奇跡によってもたされているという自覚を、多少なりとも取り戻せるからです。

たいていの人にしてみれば、身内にパーキンソン症候群の人がゼロなのに、その症状を詳しく読むことや、L・ドーパなどというものについての知識を深めることに、何らの意味も認められないでしょう。それよりは、「」でも読んだ方がずっとためになると思うのも自然かもしれません。

極めて深刻でしかも原因不明の記憶障害に襲われるなどしてはじめて、私達は「正常性の価値」とそれを取り戻させてくれるという「エリクサー」にはまってしまう人の気持ちがわかるようになります。「第2の脳」がほとんど意味のなくなるようなときもあるのです。

自分が第2の脳をもっているということを数分おきに忘れたり、検索にヒットしたときには何を検索したのかを完璧に忘れるような状態になってしまったときです。あるいは指を動かすのに30分もかかるような症状に見舞われたときです。「ふつうに」Evernoteを使えるころに「戻れる」のなら、100mlが100万円する薬だって買おうとするはずです。

「正常であることを、「異常でないこと」でしか記述できない」私のような人間としては、そもそも「異常であること」の記述を読むところからはじめるのがわかりやすいわけです。真剣に読めば、自分が「正常である」ことがなんとなくわかってきます。そのことにふだん喜びが感じられないとしたら、そもそも少し「異常である」ということもわかってきます。

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059 なぜTwitterに脱線しやすいのか?

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058 やりたくないタスクをやる休憩時間の使い方という記事を書いたのですが、ちょっと誤解されやすい書き方だったので、改めて深掘りします。

ぐったりがデフォルトだと考える


058の記事内容だとどうしても、気分を切り替える話に読めたり、似たようなタスクをまとめましょう、という内容に読めます。

しかし、私がずっと考えているのは「やる気がほとんどなく、出そうなタスクも見あたらない中で、どうやれば先送りを防げるか」ということです。やる気を出すための上手なマインドハックはすでに弾切れということです。

やる気でやろうとしてはいけないということです。やる気が出ない。やりがいもない。ぐったりしている。肩が痛い。目が疲れている。もう1ミリも仕事を進める気すら起こらない。この状態をデフォルトだと考えます。通常が、この状態なのです。

先送りに意味がまったくないのはそのせいです。1ミリもやる気が出ない仕事を、1ミリもやる気を出そうとしない明日の自分に送ったところで何にもならないでしょう。

休憩直後の行動は極めて大事


しかしそんな状態でも、比較的取りかかりやすいタスクというものがあります。例えばメールチェック。なぜでしょう?

メールチェックの「作業モード」は、コンピュータの画面で行う他のあらゆるタスクの「作業モード」と共通しているからだと思います。「画面でものを読む」という作業モードです。

058で書いたように、私達は作業モードの切り替えにエネルギーを使うのです。エネルギーがないと、作業モードの切り替えがうまくいかないのです。ずっとコンピュータの画面でものを読んできて、もはやぐったり疲れていると、「コンピュータの画面でものを読む」という部分だけ共通した他のことをやりたくなるのです。

それがメールチェックであり、もっとひどいときにはTwitterなどのSNSなのです。

この考えで行くと、他の仕事と共通した作業モードがあまりない仕事ほど、遅い時間にやるべきでないことがはっきりします。どうしてもそういう切り替えを行うには、間に大きな休み時間を挟むべきなのです。

この休み時間をとった直後の行動は、極めて重要です。どんなにわずかな時間しか使わないつもりでも、ここでTwitterをしたりメールチェックしたのでは、また振り出しに戻ってしまいます。つまり、「コンピュータ上で画面の文字を読む」という作業モードにまた自分で戻してしまうわけです。

チェックリストや「レシピ」が大事なわけはこれです。最初から仕事を進める手順が書いてあるので、特に休憩直後にそれを読むことにより、「画面をぼんやり眺める長時間の脱線」を防ぐことができるわけです。

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058 やりたくないタスクをやる休憩時間の使い方

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比喩的に表現すれば、今日の目的地Gにいくために、C地点、A地点、D地点、F地点、B地点、E地点を経由して、目的地Gに到着する、という見積もりを立てるわけです。そして、それぞれの地点でやるタスクを予め明確にして、所要時間を見積もるのです。予定時間までに到着できるように。

タスクは流れ=コンテクストでコントロールする | Decent Point

まさにこの目的のためのツールがTaskchuteであり、上記引用エントリでもTaskchuteがテーマになっているわけですが、タスクシュートであれ他のどんなツールであれ

□やるべし!

「でも、やりたくない!」という問題は起こりえます。コンテクストで最適のリストが表示されようと、〆切までの日数からやる以外の選択肢はなかろうと、昨日「すぐやるセミナー」に行ってきたばかりだろうと、やりたくないものはやりたくない。

その「やりたくない!」を「やりたい!」に変える方法を知りたいっ。という人は多いので「やる気」を出すためには「とにかくやる」という、無限後退のような、作業興奮という概念の拡大解釈のような方法論にでも、けっこう人気が集まるわけです。

タスクでやることになっていることを軽くやる


これからやることになっているけれど、やりたくないことが、企画書を書くことだとしましょう。ではその前に、悶々とうなっておらず、休憩を取りましょう。

ただしその休憩時間中、何をしてもいいというわけではありません。やることになっているけれどやりたくない企画書とは、すなわち「何をすること」だからやりたくないのかをこの上なくクリアにします。

「書くこと」だからいやなのか、企画を「考える」からいやなのか、「資料を調べる」からいやなのか。その時々の気分で何がいやなのかは違いますし、人によっても違いがあります。慎重に自分の主観を探ります。

仮にこの場合は「書くこと」だからいやだとします。では休憩時間中に「書き」ましょう。落書きでもメモ書きでもいいです。ただし、「企画書」を「各」時と同じ形式で書くことです。「企画書」は「MS Wordで書く」のに、休憩中は「紙にペン」ではいけません。

同じようにWordで落書きして休んでください。Wordでかくという潜在記憶を活性化させるのです。活性化させることをプライミング効果といいます。

先行作業による知覚への刺激が、後続作業に関係する記憶内容(技術記憶も含む)を思い出しやすくするのです。これをすることによってやりやすさは一段と増しますし、モチベーションも多くの場合引っ張り出されます。

先送りしたくなる多くのタスクとは、作業間の不連続性のせいで、一段と「やりにくそう」に見えているのです。実際デジタル作業がつづくとアナログ作業が面倒そうに見えますし、アナログ作業のまっただ中では、パソコンを立ち上げるのが手間に思えるものです。

だからこそ本を「読んで」いる最中にメモ「書き」できる人というのは偉いものなわけです。ある作業が「やりたくないなあ」と思ったら、休憩を取って同系統の作業を簡易に試みてみましょう。

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057 なぜ人を避ける人が、誰かと一緒にいたがったりするのか?

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きのう紹介した「分裂病質」と並んで、孤独癖をかこちやすいのが「回避性」と呼ばれる人格障害ですが、「回避性」はその名の通り「人を回避する」わけですから孤独になりやすいのもうなずけます。

しかし多くの研究で「回避性」の人たちがしばしば「依存症」と診断されます。ごく大ざっぱに言えば「回避性」の人が人を避けるのに対し、「依存症」の人は度を超して人と一緒にいたがります。1人の人が時に「回避性」と診断され、時に「依存症」と言われるのは、ちょっと矛盾しています。

私達は「難しさ」をいくつか同時に持っている


人格障害の定義というのは簡単ではありません。「程度問題」だからです。どの性格類型上の問題であれ、ある程度であれば誰にでもそれなりに思い当たるものばかりです。

例えば「妄想性」というのは精神病理として有名ですが、だれであれ時には疑り深くなりますし、ある種の人間関係においてちょっと度を超して不信感を強めることもあります。でもそれは病気ではありません。

また時には抑鬱症の人のように、物事の悪い面ばかり見てしまうこともあるでしょう。特別扱いして欲しいと思うことも(自己愛性)あるはずです。そういうことが時々あっても病気とは決して言えません。

どちらかと言えば、1つの性格類型にだけ徹底的に当てはまり、他の類型に見える特徴は自覚もなければ傍からも見えない。そういう方が「偏りがある」と言えるのです。誰だって、他人を頼りたくなることはあります。しかし、「1人では何もできない」とどのようなときにも思い込んでいれば、その時はじめて「依存症の疑い」をセラピストが抱くことになるでしょう。

性格上の難点は、性格上の長所でもあります。人を疑うのはよいこととされていませんが、疑う能力がゼロであることを推奨する人はほとんどいません。度を超した完璧主義者ははた迷惑(強迫性)なものですが、完成度をまったく気にしないというのも問題です。

ふたつ程度に偏った性格


おそらく病気とも健常ともつかない、本人は困っているかもしれないが、いつもカウンセリングでサポートするというほどでもないのが、「ふたつ程度の性格の偏りがひどい人々」です。

昨日ご紹介した『難しい性格の人との上手なつきあい方』でも「ふたつの困った性格の組み合わせ」について、ほんの少しページが割かれています。でも実は、私達一般向けには、ここにこそ大きくページを割くべきなのです。

「彼は明らかに回避性だ!回避性以外の何ものでもない!」という人には、そこここでお目にかかったりしないものです。それよりは少々ゆるやかな性格の偏り、つまり基本的に人からの拒絶や侮蔑を恐れて人と接したくないのだが、でも回避に徹することはできないため、「人の役に立つこと」ばかりを率先的に行い、安全に人と関わるという、つまり依存症的に振る舞うわけです。

それとは逆のケースもあるでしょう。基本的に人に依存していないと不安で仕方がないのだが、依存が度を超して人に軽く扱われたり、役に立っているのに拒絶されることに疲れ果て、人を回避する傾向が強まっていくなどといった具合にです。

純粋な理論の上からいうと、両者は区別されるものです。しかし、実社会の中で見れば、たぶん区別しにくいでしょうし、ほとんどの人には区別する意味も認められないでしょう。

そういう意味で、ふたつ程度の「難しい性格の組み合わせ」について正確に言及してくれる本があるといいと思うのですが。

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