心理ハック
「注意」について

- 2009年02月25日 (水)
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| The Psychology of Attention (Bradford Book) | |
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Harold E. Pashler
Bradford Books 1997-10-10 |
本書は、きわめてマニアックな「注意」の本です。こうした本にのめり込んでいくということは、「注意」だけで生計を立てていこうというような話です。ふつうの人はそもそも、こうした本を読まないし、買いません。
私は留学時代、本書をいわば「むりやり」読まされたのですが、衝撃を受けました。基本的に私は、ダニエル・カーネマンの「注意のリソース」という観点から「注意」をとらえていたため、どちらかと言えば「自動処理プロセス」というものを無批判に受け入れている傾向があります。私がよく使ってしまう言葉で言えば「ロボット」です。
よく持ち出される例としては、タッチタイプ。それから運転でしょうか。たとえば私は渡米直後、方向指示器を操作するつもりで、しょっちゅうワイパーを動かしていました。左右逆だからです。この例に限らず、運転操作の大半は、それなりのドライバーであれば、「自動処理プロセス」でやってるつもりになっています。「逐次操作」に頼りっぱなしでは、危なっかしい。
しかし、冒頭に上げている The Psychology of Attention の著者は、「自動処理プロセス」に対して、批判的と言わないまでも懐疑的です。つまり、注意が並行して「分配」されていたり、「ほとんど無意識的に何かを行っている」という表現が、「安易に使われている」といった調子なのです。そして、これまた断言はしていないのですが、(本書は読者が困るほど、著者による断言があの手この手で避けられていて、とてもストレスのたまる本でした)、「注意は素早くスイッチされている局面が多い」という指摘が記述されているのです。
ではどこが、というよりも何が、注意を「スイッチしている」のか? 本書ではそれもよくわかりません。認知心理学者なので、「私」とは言わない。もちろん「自我」とも言わない。「帯状回前部」とも言い出さない。「島」も出てきません。
ただ、「何でもかんでも並行処理」に対して批判的なのは、よくわかります。「認知資源」などと安易に言いますが、(私も本の中でおそるおそる使ってしまっていますが)、「資源」と言っても石油ではないので、その「量」を「はかる」などと言うわけにはいかない。あくまでも仮定的にそうしたものが「ある」として考えると、便利だという話に過ぎないとも言えます。
あるいは今なら、「計る」こともできそうです。脳内血糖量の変化など、生理的な指標をモニターすることにより。しかし本書では、この面からの反証をも持ち出します。
The critical question is whether the mental tasks that people find subjectively effortful actually increase consumption of metabolic energy more than subjectively easy tasks. Studies of blood flow and glucose uptake suggest that they do not. Overall, cerebral blood flow does not seem to differ as a function of whether the subject is thinking hard or passively sitting, for example ( Sokoloff et al., 1955). (p387)
一応原文から引用してみましたが、ようするに、少なくとも「メンタルタスク」に限って言うと、本人が「大変だった」とか「努力がいりました」と言っていても、脳にそれらしい「努力の形跡」が現れないという実験結果です。ただし、おそらくこれに反論できるような実験結果もあるはずです。
しかしここから、「マルチタスク」はよくないとか、「GTDに習熟すると集中できる」といった話につなげたいという立場からすると、元々のところに何か確固としたものを探し出しておきたいと思うのが自然です。(それをどの本に書くこともできなくても)。そういう願望から、「認知資源」は有利な概念なので、その根底にクエスチョンを差し挟むような本書は、とても気になる存在なのです。









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