心理ハック
価値は「外在」する。アフォーダンス

- 2009年01月12日 (月)
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「アフォーダンス」という概念について、私も時々取り上げてきたのですが、これをとりあげるのは「ライフハック」ととてもいい関係にあると思うからです。
そもそもアフォーダンスというのは造語であり、生みの親はジェイムズ・ジェローム・ギブソン(以下J・J・ギブソン)という認知心理学者です。天才的といってもいい人で、もっと知られて欲しい人ですが、日本では認知心理学か、デザイン関係の世界でなければ、あまり聞かない名前です。
アフォーダンスの考え方は単純で、しかも常識的なものです。
環境は、私たちに、意味や価値を「提供」する。英語で言うと「アフォード」する
なぜこれをあえて「概念」としてとらえる必要が出てきたかというと、認知心理学の世界では当時、逆の発想が優勢になっていたからです。つまり、「意味や価値」というものは、私たちの「心的世界」によって与えられるものだ、という考え方が主流にあったのです。
つまり、極端に単純化していえば、ギブソンの唱えたのは、私たちの外部に、意味や価値がある、ということ。
それまでの主張というのは、私たちの内部に、意味づけや価値づけをする機能がある、ということ。
こういう議論にあまりなじみのない方は、そもそもこういうことを主張しあうことの価値について、疑問を感じられることでしょう。哲学ではしょっちゅうやり合っているようなことですが、心理学でなぜこれが問題になるのか?
たとえばOCRという機能があります。新聞や雑誌をスキャナやデジカメで写し、その「絵」を「文章」として認識させる。その際、「頭がいいはず」のコンピュータが、なぜかろくでもない間違いをよく犯します。たとえば「加工」が「カロエ」になってしまったり、「死人」が「1タヒん」になってしまうのです。
このように、機械に現実の文字を認識させるということは、かなり至難の業です。しかし、文字などという、機械がいかにも得意そうなことで失敗するなら、「ゴミの片付け」とか「食事の支度」などを機械にさせるなど、とてもできそうにありません。「それは床に置いておくもの」「そっちはゴミとして捨てるもの」の区別を、「加工」を読み間違えるレベルの頭脳に任せるのはいかにも心配です。
そこで人は考えます。なぜヒトはこんなにも頭がいいのか? ヒトは「ミミズののたくったような字」ですら判別してのける。その「認知能力」や「判断力」はどこから来るのだろう?
しかしとりあえず、ヒトの究極の認知能力がどうなっているかなど、1950年代から1970年代あたりにはどうにもよくわかりそうになかったので、とにかく「マッチングさせる」という誰でも考えつきそうな発想で出発することになります。簡単に言えば、「「カロエ」はないが「加工」はある!」と、コンピュータに覚えさせていくのです。こうやっていけば、コンピュータは記憶容量の限界まで賢くなっていき、「何があって何がない」かは判断できるようになります。どちらもあるものなら、確率で判別させる。
当時コンピュータがとても魅力的に見えていたこともおそらくあって、人間の認知もコンピュータ式にとらえるというモデルが、とてもはやっていきました。記憶モデルなどについていえば、いまだにそうです。つまり、コンピュータにも「内部モデル」があって、「外部の認識」はその「内部モデル」を参照してマッチングするという方法をとっているように、人間の認知も、「心的世界の内部モデルにもとづく」という風に説明されていたわけです。
そりゃ、絶対おかしいだろう、と何となく私でも思います。そんな方法では、すでに知っていることが膨大になければ、何も認識できないことになるし、言葉を持たない動物の認知はどうやって説明すればいいのか、おかしなところがたくさん出てきてしまいます。
そして例の「イス」の議論になります。
ヒトはなぜ、イスをイスとして認識し、判断できるのか?
内部モデル的に説明するなら、「イス」は「目の外」にあります。外部の光が目の中から網膜に入ってきて、脳内に「イスのイメージ」が形成されます。その「イスのイメージ」とよく似た「内部モデルのイス」をマッチングさせ、そんなにずれていなければ「イスだ!」と判断できることになる。プラトンのイデア界にも似た内部モデルの世界があるわけです。
ここでやっとJ・J・ギブソンが登場するのですが、やや長くなってきたので続きは明日以後に。
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