ライフハック心理学

心理ハック

216 偶然と必然とやる気のなさ Clip to Evernote

先週は一週、お休みを戴きました。そろそろ、ネタも切れて参りましたから、もうそろそろ結論を述べてしまいますと、私が「うつ」のようになった最大の理由は、「究極の三次元世界」とでも呼べそうな世界に、自分が放り投げられているのだ、と、心底から信じ込もうとする、そのムリな思考にありました。

理系の方のために付け加えておきますと、その「究極の三次元世界」というのは、ピタゴラス的な世界です。つまり、三角形の内角の和は百八十度であり、平行する二直線は永遠に交わることのない、そういう「あり得ない世界」でした。

「あり得ない世界」というイメージの中で生きようとすることが、それほどムリのあることだと思い知ることは、子供の時代にはめったにないことです。私の今の「世界のイメージ」は、それよりはだいぶ「現実的」な世界であって、その分捉えがたい世界でもありますが、そこへ「引っ越し」したからこそ、一息つけているわけです。

その「私の生きる世界」は、立方体が「1秒ごと」(0.1秒ごとでも、0.01秒ごとでもいいのですが)に「コマ送り」される世界であり、その「コマ送りされる世界」で起きる出来事は、当然すべてが「決定済み」です。ここで私のモチベーションは、「消え」ました。現実には「消えた」というよりも、「持続性がゼロになった」といったところなのですが、いずれにせようまく言葉に治らない感触です。

ところが、この「コマ送り界」を徹底的に破壊するような「物理学」を知ることになります。それが「量子力学」で、ケプラーすら定かにわかっていない私には、全容を知るのはとても無理な話でしたが、それでも私が知るべき二つのアイデアを得れば、それで当時は十分でした。1つは「波動関数」(ψ)であり、もう一つは「電子という「玉」が原子核の周りを回っているのなら、どうして電子は「落ちて」しまわないのか?(衛星が地球へ向かって落ちるように)」という問いかけでした。

私が当時理解したと感触を持ったことについては、このコラムですべてをお話しするのはとてもムリです。本が二冊は書けるような内容であり、しかもそのすべてを理解したわけではないからです。何を言っているのか、訳がわからない、という方は、佐藤勝彦監修の『「量子論」を楽しむ本』(PHP文庫)と橋元淳一郎著『時間はどこで生まれるのか』(集英社新書)などを参考にしてみてください。感じ方にもよるかと思いますが、私の読んだ限りでは、この他の本はたいていこれより難しいか、読みにくいかです。

「量子論」で最も私が衝撃を受けたのは、一つにはその「偶然の宇宙モデル」でした。「非常に小さな世界の話」というかっこ付きではあるものの、そこで言われていることは要するに、この世界の成り行きの中で、何がいつどのように起きるかを「絶対的に」予測することは、「原理的に」不可能だという話でした。「未来予測」が「技術的に不可能」なのではなくて、「原理的に不可能」という点が、非常に重要なポイントで、と言うのも、そもそも私自身が「未来予測」することなど不可能なのですから、これは初めから「観念的な」話なのです。

私の中の「決定済みの未来」という観念は、その頃、つまり米国留学中に崩壊しました。代わって入ってきたのは、「事件」はそのつど決定するという、かなり不安定な世界でした。ほとんど無意味なたとえですが、例えば私と月の相対的な位置は、私が月を「見た」時に初めて決定されるというような、そういう世界観です。これは私のそれまでの、「うつ的決定済み世界」よりも、ある意味で非常に不安感をもたらすような、不安定きわまりない世界ですが、それでも「全く決定済み」よりはマシと感じたわけですから、人間は全く冒険好きだと思わずにはいられません。

以上一〇回をもちまして、このコラム、「心理哲学談話」は終了とさせていただきます。出さずにおけば人にはったりをきかせられる一方、出してしまえばいくらでも底の浅さをつつけそうな内容だけに、公開するに躊躇するようなコラムでしたが、平均的な人間の「思春期の悩み」とは、おおかたこのようなものだと思います。

ここまで書いてきて、少なくとも一つ確かだと思えることがあります。それは、私の「悩み」は、唯物的なものから出てきたのですから、科学的・物理的な発想で考え方を変えるより、仕方がなかったはずだ、ということです。物理的に世界が決定済みだということで苦しんでいるところへ、イエスや仏陀の話で慰安を得ようというのは、ムリがあります。(宗教が根本的に役に立たないという話ではなく)。また、「それは若い人にありがちな悩みだ」と年配の人が告げてくれたとしても、「年齢を重ねること」を「ニュートン的宇宙」に対する返答とするのは、原理的におかしなものです。

私の悩みはつまるところ、人間関係ではなく、善悪二元論でもなく、社会の不正でも経済格差でもなく、物理的宇宙に決定論でした。それは、他の人にはピンと来ないかもしれませんが、非常に深刻なものでした。悩みとはそのように、個人的なものでしょう。