心理ハック
146 作業記録報告
以前、slimtimerというオンライン・ツールを使って、作業記録を取り始めたというお話を書きました。
今日はその報告です。

上の図は、今週の私の、作業記録取っている時間だけを、用意してみました。
これを見てわかることは、「実稼働時間」は一つの仕事について、1時間を切るものが多いということです。したがって、コンを詰めて仕事をしまくれば、4時間以内に毎日の仕事を完了させられる、という計算になります。
なんと気楽な! と思われるかもしれませんが、現実はそうはいきません。まず上の図には「思考時間」を省いてあります。計りにくいからです。たとえばこのエントリを書くのにも、「考える時間」というものが本来、加算されなくてはなりません。何も考えずには書けないからです。
それなら「考える時間」も、「ブログエントリ」の時間に組み込めばよさそうですが、私の場合にはそれはかなり難しいことです。というのも、「考える時間」は「仕事中」とは限らないからです。食事中のこともありますし、ブログを書いているまさにその最中が、「思考中」だということもあります。つまり、本を書きながら、「コラム」のことを考えている、ということもあるわけです。
それから、「うちあわせ」や「業務連絡」の時間も、ばかにはなりません。本来はこれらも記録するべきですが、今のところ省いています。理由の1つは、やはり難しい面があるからということと、時によってはその時間が、私を休ませている面も否定できないので、記録につけたくない心理が働いているのです。(休憩時間を削りたくない心理。あるいは、管理したくない心理)。
それから、大橋悦夫さんが指摘されている、「のりしろ」ももちろん見逃せません。この記事を書き終わって、直後に(1秒も空けることなく)日経ビジネスオンラインのコラムを書き出すことは、できないのです。
なんのかのといって、少なくとも上の図を2倍にした時間を、「仕事」に費やしています。そういう意味で、作業記録は完全に正確ではありませんが、にもかかわらず非常に役立っています。
最大の有用性は間違いなく、「実稼働時間」を見積もれる点です。「最悪」の場合には、4時間で仕事を片付けます。「考える」ことを省くわけです。正直に言えば、これをすると仕事の質は落ちます。しかし、「できない」よりは明らかにベターです。ですがそこまで追い込まれることは、今のところほとんどなく、実際に取ることがあるのは、その「折衷案」です。たとえば、あまりに締切りに追われている場合には、仕事を「5.5時間」で「やっつけ」ます。これならば、珈琲タイム=「思考時間」を、取ることも可能です。
もう一つ面白いと思ったのは、1日を24時間以上活用することも、考えようによっては可能なのだと気づいたことです。私はもともと、そうした話があまり得意ではなく、「1日を48時間にする方法」というような本があっても、信用できず、したがって読むこともないのですが、たしかに、本を書きながら他のコラムのアイディアを考えているということは、テーマが近ければ可能であり、「仕事時間」の並行活用はできるわけです。
たとえば、「コラムのことを考える時間」(30分)+「コラムを実際に書く時間」(60分)としましょう。この場合、「コラムを書くのに要する実時間」は、30+60で、90分となります。
一方で、「本のことを考える時間(60分)」+「本を実際に書く時間」(60分)としますと、「本を書くのに要する実時間」は60+60で、120分となります。
この二つの仕事を同じ日に行なえば、計算上かかる時間は90+120=210分のはずですが、両者のテーマが似ている場合には容易に、「コラムを書きながら本のことを考え、本を書きながらコラムのことを考える」ということは可能です。
それを実行してみましょう。「コラムを実際に書く時間」(60分)の間に、「本のことを考える」ことも並行していたとします。全部考え尽くすのは無理でも、半分くらいは「考えておく」ことができるものです。そうすると、「本を書く」ために、「本のことを考える」のは、半分の30分となるでしょう。
そして、「本を実際に書く時間」(60分)にも、同様のことをします。すでにその日の「コラム」は書いてしまいましたから、「翌日のコラム分」について考えることにしましょう。
「コラムのことを考える時間」(30分)は、本を60分書いていれば充分です。書いている間に、ほぼ考えがまとまるでしょう。まとまったら、「メモ」をしておきます。
すると翌日からは、メモを読めば「考える」ことなしに、「コラムを書き出す」ことが可能です。そして、「書いている間」にも、「本のことを考えて」おきます。すると・・・
「コラムを実際に書く時間」(60分)+「本のことを考える時間(30分)」+「本を実際に書く時間」(60分)=150分
これは、先ほどの計算上かかるはずだった、210分に比べて、1時間も短縮されています。
実際にはここまでうまくいきませんが、似たようなことを試みていることは、確かです。
145 重さだけが問題ではありませんが
ITmedia>biz.ID>3分LifeHacking:http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0611/14/news029.html今日の3分LifeHackingで、「モノの重さをわかりやすく例える」という記事が紹介されています。なんの話か? と思ってしまいますが、たとえばモバイル・ノートブックの重さを、他のモノでたとえると、なんの重さと等しいか? ということです。
今のところ、何とか実用に耐える小型・計量ノートパソコンの重量を、私は1キログラムちょうどから、1.2キログラムと考えています。「3分ライフハッキング」の表によりますと、1.1キログラムという重さが、だいたい一般的な電話帳の重さに等しいようです。
なるほど、それでは持ち歩きたくないわけです。
700グラムまで落ちてくると、「週刊少年ジャンプ」なみ。これはまた意外。あれ、そんなに重かったですかな?
500グラムが面白いところで、500mlのペットボトルとほぼ同じ。当たり前のことですが、となると、500グラムならば私は、相当の荷物を抱えていても、平気で持つ重さ、ということになります。どんなときにでも、500mlのペットボトルなら荷物には感じませんから。
500グラムといえば、ソニーのVAIOtypeU。ゼロスピンドルバージョンは、500グラムを切ります。軽いわけですね。しかし、ちょっとした問題があります。
というのも、おそらく鞄の中に、500グラムのペットボトルと、500グラムのバイオノートを入れたとすると、ペットボトルのほうが軽く感じるはずです。なぜなら、ペットボトルは壊れませんから、鞄をどう持とうと、振り回そうと、問題ありません。しかし、ノートブックパソコンを入れていると、もっと慎重な扱いが求められます。
慎重に鞄を扱うためには、わずかばかり余計な力がいります。だから、重く感じられるはずです。
そういう意味で、iPodといい、モバイルノートパソコンといい、非常に軽くなってきているとはいえ、同じ重量のツールを詰め込んだとしても、かつて鞄に入っていた同じ重量のモノを持つより、疲れることになります。
142 自動分類ポストイット?
実は、アメリカ人は、「自動分類」というものが好きなようで、
・日付が入っていたら、自動的に予定表へ
・電話番号や住所らしき文字列が入っていたら、自動的にアドレス帳へ
振り分けてくれるタイプの「メモ帳」というものがよく出てきます。
本日の「ワークスタイル・メモ」のエントリで取り上げられていた、
stikkit (自動分類ポストイット)
http://www.ariel-networks.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1762
も、同じタイプのツールです。
この「オンライン・ポストイット」は、非常に興味深そうな、今時の言葉で言うならいかにもウェブ2.0らしいツールで、以下の特徴的機能を備えているそうです。
【Stikkitの主な機能】
・オンラインメモ機能
件名と本文のメモを作成することができる(件名は自動作成)
メモを作成中にメモが自動的に分類される
(カレンダー、ToDo、アドレス帳、ブックマーク)・メモ一覧機能
時系列にメモを表示することができる
分類別にメモを整理することができる
メモにタグで整理することができる?・共有機能
メモをメンバーを指定して公開することができる
非常に気になったのが「?」のついている、「メモにタグで整理することができる?」でした。
オンライン上の情報は「タグ」で整理できますが、ローカルな、PC上のファイルなどは、タグ整理というものを、特殊な方法を使わなければできません。これは何というか、歯がゆいです。一言で言うと、自分自身のファイルを整理する方法が、フォルダ分けしかないというところが、困るのです。
おそらくできなさそうですが、サイト上の情報を見たまま取り込む機能(つまり「紙copi」のコア機能)を備えていて、かつ「?」のタグ機能を備えていれば、私はこのツール、使います。
本題に戻りますと、私はどうも「自動分類」というものが好きになれません。
なんだか、コンピュータの「気持ち」(というタイトルの本がありましたが)を「察して」あげないと、役立てられない気がするのです。
他人の気持ちを察するというのは、日本人としては、人間関係の基本ですが、おかげで日本人の対人関係は、世界の中でもストレスフルな方です。(同じく、「察する」ことが重視される韓国では、「対人恐怖症」に相当する症状を持つ人が、実際にいます。これは、日本人に特有の精神障害とみなされています)。
せめてコンピュータなどは、できるだけぶっきらぼうに扱いたい、というものではありませんか?
データを投げ込んでおき、フォーマットなど全然そっちのけで、どんどん積み上げていっても必要なものはすぐに見つかる。
おそらく「自動振り分け機能」とは、そういう人間の「わがままな欲望」をかなえるために用意されているのでしょう。
しかし、こりすぎると逆効果で、「わがままな欲望」をいつか達成するためにも、今は細やかで謙虚な態度でがんばってください、ということになりがちなようです。
このツールは、どうなのでしょうか?
私としては、現段階ではまだ、「自動振り分け」にまでは期待しませんから、「タグ」や「カテゴリ」や「フォルダ」分類などの、手動マニュアル分類機能が、もっとスムーズで、ストレスレスで、汎用性の高いものであってくれれば、と期待します。
141 「やる気」と仕事の「暗黒面」
ここのところ、大橋さんの「シゴタノ!」からのネタばかりという気がしてきたのですが、本日は大事なことなので、やっぱり書いておきます。「少しずつ書くか、まとめて書くか」http://cyblog.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=363以下、引用もすべてこの記事からです。
私たち「物書き」というのは、「好きを仕事にできたラッキーな人種」といわれていて、実際その通りだと思います。
しかしながら一方では、「好きなことを仕事にしてはいけない」(なぜなら嫌いになってしまうから)という箴言があって、それにも一理あります。
この点について、本日の大橋さんの記事では、3行にまとめられています。
●ライターというのは、本当は「書きたい」と思っているはず、
●でも、気づくと皿洗いやら銀食器磨きやらを始めたりして、
●とにかく少しでも白紙のページに向かうことから逃げようとする
「時間が足りない」のはすべて、ここから始まります。よくある話とは言え、ここを何とかしない限り、「先送り問題」は避けられなくなります。
もちろん、考えるべきポイントは、なぜ「本当は書きたい」のに、「少しでも書くことから逃げようとする」のかという点です。
「本当はやりたい」ことが「やりたくない」に変わってしまい、かわりにやりたいことが出てきた(皿洗いなど)ということは、思うに、「時間をポジティブに活用したい」という基本的な欲求がまずあって、「やりたかったはずの仕事」がその欲求を満たせなくなりつつあることを、意味しているはずです。
もし、「時間をポジティブに活用したい」という欲求自体がなければ、やりたいことをしようとやりたくないことをしようと、何も違いはないはずです。具体的に言うなら、「あー今日はいい天気の日曜日!こんな日を、ゴロゴロしてマンガ読んで過ごすなんて!」という言葉に何か意味があるとすれば、「もっと他のことをして、このすばらしい日が与えてくれるだけのものを、ゲットできるような時間の使い方をしなさい」ということになるでしょう。
話を「物書きの立場」に戻していえば、昔、まだその「物書き」が「物書き」で生計を立てていなかった頃には、時間のある晴天の休日を「ものを書いて」過ごせば、それが「得るべきものを受け取れる時間の使い方」であったわけです。それがいつしか、「ものを書くこと」がまるで、「無駄な時間の費やし方」のように、まるで快晴の日曜日に、家を閉め切りにしてせんべいをつまみながらマンガを読んで過ごしているような印象(そこまでひどくないかもしれませんが)をもたらすようになってしまった。
そうなった理由は、いくつか考えられます。
・毎日ものを書いているために、たまに書きたいときにだけ書く場合とは、同じ行為には感じられなくなった
・かつては存在しなかったはずの「成功」と「失敗」を意識するようになった
・それで生計を立てているために、「生計を立てること」との関連性に、否応なく意識が転じてしまう
・ものを書く苦しみを知るとともに、かつてはなにが楽しくて書いていたのか、忘れてしまった
・物書きの仕事には、意外に「つまらない側面」が多いことを知ってしまった
人によって様々でしょうが、抽象的にまとめてみますと、「ものを書く」という行為を仕事に変えたために、その楽しかった面に目がいかなくなり、暗黒面がクローズアップされていることがわかります。だから「好きを仕事にするな」というアドバイスにつながるのでしょうが、それでは希望がありません。もうちょっと考えを進めてみましょう。
物事には、いろいろな面があります。と言っては、何も言っていないように聞こえそうですから、物事には少なくとも、二つの面があります。
・よい面
・いやな面
「趣味」(好きなこと)とは要するに、ある人にとって「よい面だけが強く感じられる、何らかの行為」と定義できます。
逆に「仕事」は、「いやな面が見えやすくなる、何らかの行為」と考えられます。
ひとつの全く同じ行為、たとえば「ものを書くこと」が、「趣味」から「仕事」転じるとき、それは「よい面だけが強く感じられていた」活動から、「いやな面が見えやすい」活動へと転落してしまうことが、多いのでしょう。そう考えてくると、なすべきことはこの「転落」を防ぐことにあることが、分かります。これは、ひとり「書き物」に限らず、あらゆる仕事について言えることのはずです。
ある活動について
・自分がその活動における「プラス面」をどこに、どのように感じているかを明確に記憶し
・「仕事」である以上必ず登場し、印象にのぼってくる「暗黒面」よりも、前面におくように努める
容易いことではありませんが、不可能なことでもないでしょう。なぜなら、
・物事には必ず、少なくともプラスとマイナスの二面があるから
です。
そして、プラス面を感じるのも、マイナス面を感じるのも、私たちの意識の中で起きることであって、どちらの面も仕事や趣味それ自体に「貼り付いて」いるものではないからです。
大橋さんの「シゴタノ!」の記事に目を戻しますと、「プラス面」を意識にのぼらせ「暗黒面」を抑制するためのアドバイスもあります。
●1日の割り当て作業量を決めて、これをきっちりと守ること
●まずは目に見えるゴールを設定して、これを毎日クリアし続けること
●落とし穴:1日の割り当て作業量以上はやらないこと
●翌日分を前倒しで消化したことにしてはならない
このことは、『まんが道』において、藤子不二雄Aさんが実感していた大切なルールです。
なぜ「ペースを守る」ことが大事であり、「前倒し」して翌日分まで片付けてしまうようなことも、いけないのか?
これは「仕事」に対する認識の問題に関係してくるからです。「ペースを守る」ということはつまり、毎日一定量を決めてこなすという意味ですが、こうすることで、毎日その「仕事」が含んでいる「プラス面」を一定量実感できることを意味します。好きだったはずの「仕事」であるならなおさらで、「プラス面」は現実に「仕事」と関わることで味わうことができるのです。問題は、「プラス面」を忘却しがちなところにあるので、一日まるまる「仕事」と関わらずにいると、「プラス面」を忘れ去りやすくなります。
もう一つ、「前倒し」という行為に関わる、認識問題があります。「前倒し」して「明日の自分を楽にしてあげよう」とすることは、要するに「仕事」の暗黒面を強く意識していて、ただたまたま調子のいい日の「ノリ」を利用することでその「苦痛」を多めに乗り越えてしまい、翌日はその「仕事」の「暗黒面」をたくさん味わうことが避けられる、という意識が感じられます。そればかりでもないでしょうが、そういう感情があることは、ありそうです。
少なくとも私が、なるべく「前倒し」を避けているのは、「前倒し」が一種の、「不慮の事故」に対する恐怖感からやってきているからなのです。「今日のうちに2頁書いてしまえば、明日風邪を引いても締め切りには間に合うだろう・・・」といった考えです。これまた紛れもなく、「ものを書く仕事」にまつわる「暗黒面」です。「仕事」にしたからこそ、意識する事柄なのです。
そういうことを意識し、その意識に基づいて行動することにより、意識は強化されてしまいます。「暗黒面」をクローズアップする意識を、行動によって強化しないことは、何事かを「嫌いにならない」ために、いつも心に留めておくべき考え方と言えるでしょう。
140 ライフハックス-鮮やかな仕事術 やる気と時間を生み出すアイディア
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=R0227810
拙著『ライフハックス-鮮やかな仕事術 やる気と時間を生み出すアイディア』が11月30日に発売予定です。
購入されるかどうかは別として、できれば手に取っていただけると、とてもうれしいのですが、少し大きめの本屋さんでないと、見つけられないかもしれません。
「MYCOM新書」シリーズの、おそらくは5番目の本となります。
当ブログをくまなくお読みいただいている方には、見慣れたネタもあると思いますが、私がこれまでにアチラコチラで書き落としていったものをすべて拾い尽くしても、(おそらくは)見たことのない話も、混じっていると思います。
ところで、この本を書いている間中、今ひとつ完全ではないのですが、「作業記録」というものを付けていました。
それでわかったのは、少なくともこの本に関して言えば
・構成を整えるのには、意外に時間がかかる
・にもかかわらず、書いているうちにその構成は変化し続ける
・校正(誤字・脱字修正その他)作業は、疲れるが意外にすぐ終えられる
・ただし校正作業には、無駄が発生しやすい
といったところです。つまり、「はじめ」と「終わり」にやっかいごとや疲れる作業がきていたようです。
執筆というメイン作業は、意識の上でも、時間の上でも、意外とスムーズに進んでいます。
といったところで、本書のお話はまたいずれ、忘れた頃にでもやりたいと思います。








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