心理ハック
151 アクセスされると変化する記憶
これは、池谷祐二さんの『脳は何かと言い訳する』(祥伝社)を読んで、久しぶりに思い出した事実なのですが、記憶というものは「思い出すたびに不安定になる」という性質を持つようです。
コンピュータ時代に育った自分としては、ある意味、奇異に見える性質です。というのも、「記憶」とはモノではない。モノではないのだから、何度取り出そうと、無くなったり減ったりすることはない、はずです。実際、コンピュータのハードディスクに、何度アクセスしようと、アクセスしただけでデータが消えてしまったりすることはありません。あったら、とんでもないことです。
しかし、人間は生ものです。ですから、記憶にアクセスすると、記憶自体が歪んでしまったり、極端な場合には消えてしまったり(思い出せないようなプロセスに移行したり)するのでしょう。
ここでちょっと、フロイトをお思い出します。フロイトは、幼少時にあまりにおぞましい体験をすると、そのような事実はなかったことにされ(抑圧)、思い出すことができなくなります。しかし、幼少時の重大な体験を意識の底に手つかずで沈めっぱなしにすると、成人して何らかの精神的不順となって、その沈めた記憶が現れようとします。
そこでフロイトの深層心理療法によれば、手つかずに沈められていた記憶に再アクセスしてやれば(意識化)、精神病は治癒するという理屈になっているわけですが、これはあながちおかしな話ではないようです。「思い出せば忘れる」という理屈からしても、おぞましい記憶はやり方によっては、「思い出す」という行為によって「消去する」ということができるのですから。
この話で重要だと思うのは、「手つかずの記憶」というのが本当にあるとして、それは、何らかのやり方で頭の外に追い出せるというところだと思います。あるいは、そのような記憶のプロセスを、別のものに変えてしまうことは、十分可能だというところでしょう。池谷さんによれば、薬物を使えばかなり確実にそれを実現できるようですが、私ならやはり「何かに記録しておく」という方法を採りたいところです。そうすれば、「記録した」という事実によって、「記憶」をとどめておくというエネルギー(緊張感?)を解放できるように、思えるからです。
この辺りはほぼ完全に推測ですが、GTDのような、「心にかかる全ての事項を紙に書き出す」方法に、人気が集まっているのは、その開放感を味わえる度合いが、大きいからだという気がするのです。「紙に書き出せば頭が空っぽになる」というのは、記憶がなくなってしまうという意味のはずがありませんが(つまり頭は空にはならないはずですが)、何らかの意味で緊張が解放されるのは、間違いなさそうです。
私は今、GTDよりももっと別のやり方で、必ずしも仕事に役立たずとも、精神の緊張を解放する方法を、考えています。それはどうやら、記憶と関係がありそうなのです。
149 「プラシーボ」(偽薬)を考える
佐々木正悟です。先日帰国しました。
今日から、いつも通り、週5日でエントリして参りたいと思います。
休暇中サイトに訪れていただいた皆様、どうもありがとうございます。
早速ですが、「プラシーボ」という言葉は「偽薬」と訳されますが、ギリギリまで分析していくと、何が「偽」薬で、何が「真」薬なのか、区別が非常に難しくなります。
「そんなことはない!」と言われるでしょうか? 学校の先生が「方便」でチョコレートを「酔い止め薬だよ」と言って生徒に渡すのと、医者が本当の「酔い止め薬」をくれるのとでは、効き目が違うはず、でしょうか?
そもそも「プラシーボ(偽薬)効果」とは本当に存在するのでしょうか?
結論から言うと、これは確かに存在します。というのも、私は留学時代に、「心理学実験」を実施するに当たって、プラシーボ効果を勘案に入れて、その差分を取りのぞく、という作業を現にやらされました。
意味がわかりにくいかと思いますが、要するに、たとえば私が「うつ病への特効薬」を開発したとします。(できませんけど)。言うまでもなく、「私はうつ病への特効薬を作りましたぞー!」と自分で言っても、それだけでは全然ダメです。ちゃんとそれがうつ病に効くかどうかを、実験しなければいけません。(その前に何度も、人体に害がないかどうか、動物等を使って実験しますが)。
そこで、私の「開発した特効薬」なるものが、曲がりなりにも効果があると主張するには、「飲めば効果が確かにあった」ということを、実験によって例証しなければならないのですが、しかしそれだけでは不十分なのです。
「飲めば、プラシーボよりも、確かに効果があった」と言えなければならないのです。ということはつまり、「空っぽのカプセル」を飲んだ「うつ病の被験者」は、実際にある程度まで、「うつ病」が改善されてしまうので、私の「開発した特効薬」はそれよりも、もっと症状を「改善」させられなければ、「薬」と主張できない、ということになります。
さてここで。
私の周りに、「冬の風邪には、XXX!これじゃないと、俺には効かないんだよ!」と強硬に主張されている方がいます。
「実験」してみたことはありませんが、おそらく(90%以上の確信をもって)この方に、小麦粉入りのカプセルを渡して、「XXXだ」と言ってあげた方が、市販の「●●●」(何でもお好きな薬をどうぞ)を渡すより、効果が大きいと思われます。この場合、「偽薬」は「真薬」よりも効果を発揮してしまうのです。
これは、二重に心理効果が力を発揮している事例です。この人の、「自分には、XXXでなくては効かない」というのは、
「真薬」+「偽薬」効果です。
一方で、「●●●など効かない」という信念は、
「真薬」-「偽薬」効果と考えられるでしょう。
そして、たんなる「偽薬」効果は、「真薬」-「偽薬」の効果よりも、効果が大きいと考えることもできます。そうなってくると、どこからがプラシーボで、どこからが薬の「本当の効果」であるかが、非常に見えにくくなってくるのです。
だいたい、患者さんの立場から言えば(そして私も社会のあらゆる場面で「患者」になることはあっても、「医者」になることはありません)、「偽薬であろうが真薬であろうが、治りさえすればいい」という気持ちがあるでしょう。(だからといって、小麦粉入りのカプセルを手渡され、それに二千円支払っていると知れば、おそらく納得できません。ここら辺は、非常に難しい問題が絡んできます)。「鎮痛剤」や「向精神薬」となれば、なおのこと「プラシーボ効果」は大きく働くので、なおのこと、「なんでその薬は効くのか?」への答えが、見いだしにくくなってきます。
ここで、ごく日常の世界に話を合わせますと、私たちは「気分が悪くなった」時や「どうもやる気が出ない」時や「今日は寒すぎる」場合などに、「プラシーボ効果」に頼っている可能性が非常に高く、非常に高いと言うより、ほぼ間違いなくそうしています。「コーヒー」や「よく当たる占い」には、明らかにそうした効果が入っていて、たとえ「コーヒー」に間違いなく「興奮剤(カフェイン)」が含まれていて、「よく当たる占い」にも、現によく当たったという経験が伴うにせよ、それらの「プラシーボ効果」は依然としてかなり大きいのです。
その大きな「プラシーボ」が、日常生活を順調にしたり不調にしたりと、いちいち影響を及ぼしている以上、これを有効活用することを考えることは、その「迷信性」を暴くよりも、有意義だと少なくとも私には感じられます。この話には、いろいろな意味合いを含みますから、今後よく取りあげることになると思いますが、本日はとりあえず、私たちには「プラシーボ効果」が実際にかなりの程度働いていて、それらの働きを厳密に特定するのは、非常に難しいというところまでを、確認しておきましょう。






