心理ハック
色の話は難しい

- 2009年05月29日 (金)
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私は留学中に視覚の話が出るたび、身構えていました。授業が英語で怖かったことに加え、どうも「色の話」はわかりにくかったのです。
色の話がわかりにくいというのは、デザインの話ではなく、「3色色覚」がどうのこうの、といった話です。特にうまく人をからかう教授がいて、彼は私たちに「色がなくなる部屋」の映像を見せてくれました。そこには、光はあるけれど、色がない。
この辺で、色覚の話を考えつつ、英語を追っかけつつ、訳がわからなくなり、テストが怖くなるという、最悪の状況。
認知心理学の基本的テーマは、私にはもともと難しくは思えませんでした。曰く「人はみな、違った世界に生きている」。誰も同じ現実を、同じようには感じていない。
とはいえそのことを、絶え間なく意識して生きているわけではありません。というよりも、多くの場合、そのことをうっかり忘れて生きています。だからときどき、次のような指摘をされて、どきっとしてしまうわけです。
世界は誰にも同じように見えているわけではない、とたびたび確認しているにもかかわらず、そのことを忘れて「こう見えるはず」というつもりでブログを書いたりしてしまいます。自分が見ているとおり、人も見ていると想定してしまうのです。
「色の話」は、世界が人によって見え方がちがうということに気づくのに、かなりよい題材です。自分ひとりに限ったところで、同じモノを同じ色においてだけで見ているわけではなく、白い本をオレンジ色に見ることなどは容易です。夕日に当てればいいのです。しかし、そうすると今度は、もっとオレンジに見えるはずの本を、「白なのだから白く見るように」脳に強制されます。これは「色の恒常性」と呼ばれる体験です。
ここから逆に考えていくと、なるべく自分が見ているように、他の人にも見てもらうには、情報をできる限り絞り込めばいい、という方向が考えられます。光と音を使うよりは、光だけに頼った方が、音情報の想定違いは起こりえなくなりますし、フルカラーよりは、モノクロにした方が、色情報における見込み違いも起こりにくくなるでしょう。
そんなことを考えたのは、最近の「電子ペーパー議論」を読んだからです。電子ペーパーはいずれ普及するでしょうが、初めはモノクロだという感じがしています。そこで、色情報のことを考えたのです。雑誌は多くがカラーだが、本というのは実は、モノクロが多い。小説のなどは、モノクロで、文字ばかり。
だからモノクロの電子ペーパーで十分という考えもあるが、いずれはカラー版もすぐ出てくるだろう。けれどたとえばマンガは? 技術的にカラー化するのは容易な時代、アニメはとっくにカラー化された時代になっても、マンガは意外とモノクロのままです。それでいいのかもしれない。でもそれはなぜだろう?








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