心理ハック
439 「やりがい」について チクセントミハイの分析より

「やる気を出す」ということと「やりがいを感じる」ということは、確かによく似たところもありますが、本来分けて考えられるべきものだと私は思っています。後者の方がおそらく、本当に人が求めるものです。
本当に人が求めるものの研究は、いかにも心理学に向いているようですが、実はあまり心理学で研究されていません。極めて著名なところで、今回とりあげるミハイ・チクセントミハイの「フロー体験」と、だいぶ古いですがエイブラハム・マスローの「至高体験」があります。
エイブラハム・マスローは、人は「自己実現」を求めて生きていて、自己実現に近い人ほど頻繁に「至高体験」という、耐え難いほど強烈な喚起の体験を経験しているという、事実なら今でも斬新と思える調査結果をまとめました。
ミハイ・チクセントミハイは、ダンス、バスケット、チェス、外科手術などは特に、非常に没頭しやすい活動で、それらの活動を人が好むのは、「フロー 体験」 を得る機会がたくさん持てるからだと指摘しています。この中で「外科手術」だけは、「フロー体験を得る」ために行われては困るのですが、必要に応じて行う 活動(つまり一般的な仕事)であっても、フロー体験を得る機会をもたらすという意味では、興味深い発見です。
「フロー体験」はチクセントミハイの造語ですが、説明的には「自己目的的活動」でしょう。「自己目的的活動」つまり、「活動それ自体を行いたいことが動機になる活動」は、「内発的動機づけ」の概念と重なる点が非常にたくさんあります。
ここで私の興味はどうしても、「フロー体験」をたくさん体験したければ、どういう活動を行ったらいいのか、という点です。簡単に言えば、どんな活動に、私たちはやりがいを感じやすいのかということです。
チクセントミハイは「限定的」という留保をつけながらも、フロー体験にはおおよそ次のような共通因子が見て取れるといいます。
1 友情とくつろぎ
2 危険と運
3 問題解決
4 競争
5 創造
これらの因子を見ると、すぐに次の共通要素が見つかります。「現実に対する自己原因の実感」です。何らかの現実に対して、自分が影響を与えていると 共に、 その影響を与えることは、それほど容易でないという感覚がえられること。それが「やりがい」の要素として欠かせないということが見えてきます。
危険と運はギャンブルという形でこの要素をもたらしますし、問題解決は言うまでもありません。競争も同様です。創造は特に、自分が原因とならないな らば、 現実そのものが存在し得ないでしょう。友情とくつろぎだけは、そこまで能動的でなくても成立しますが、自分が存在していないも同然の、しかし親密な交友関 係というのは、あっても極めて珍しいと考えられます。
もちろん、危険と運一つ取ってもわかるとおり、「やりがい」には「かなりの成算」が欠かせません。人が危険なことに挑戦するのは、それがやりがいを 感じさ せると共に、首尾よくやれるという勝算あってのことです。ほぼ確実に破綻する社交や、絶対に勝てない試合や、何もできないとわかっている創造行為などは、 普通「やりがい」を感じさせないものです。
しかし同時に、成算は絶対であってはダメです。そこがギャンブルをギャンブルにしているポイントです。自分はうまくやれるだろうと思うのは欠かせませんが、自分でなくても誰がやっても100%成功するに決まっていると思っていることに、人はやりがいを感じません。
この点はけっこう重要かつ、デリケートな要素だと私は考えています。危険に対する挑戦や創造行為であれば、うまくいかせる自信があるが、絶対ではない、という感覚が大事なのはまちがいありません。しかし、交友関係や音楽鑑賞(くつろぎ)になぜそれが必要なのか。
この点については、また回を改めて書くことにします。この点が、「退屈と飽き」に関係していると私は思うのです。
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