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276 サイコビュー 「理性」と「感情」 Clip to Evernote

最近、仕事関係者に教わったブログ記事を読んだのがきっかけとなって、ほぼ毎日のように「理性と感情」について考えてしまっています。もちろん私のことですから、多分に心理学的に偏っておりますが。

記事は以下のURL。タイトルは、「感情ってハック可能だよ」。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50880901.html

ここ数日考察しただけですが、私なりに出した結論を先に書きます。おそらく「理性」というのは「感情」の暴走を防ぐための役割を担っているのではないかと。他の役割ももちろんありますが。

と考えたのも、まず「理性」というのはいつも「感情」と対になっているように見えるからです。人間以外の動物にも、「感情」が観察されることは確かですが、それにしても人間ほど「感情的」な動物は珍しいでしょう。これほど多様で豊かな「感情」を持っている動物というのは、考えてみると不思議なものです。

「感情」の大きな特徴として、まったく現実に対して不適切に働くことがあります。たとえば私自身、幼稚園時代にお漏らしをしたことを、電車に乗っているときなどにいきなり思い出し、恥ずかしさを感じることがあるのですが、どう考えても適切ではありません。「今の」現実とは何の関係もない感情的反応です。

あるいは、小学校時代に教師に恨みを抱くようになったという「感情」のせいで、30年後に小学校に乗り込んでいって、教師ではなくそこにいる生徒を刺し殺すなどというのは、「感情」の暴走以外のなにものでもないでしょう。「感情」は現実の情勢と乖離できます。こういうことは、人間以外の動物ではまず考えられません。

このように、現実とはほとんど無関係な、あるいは非常に適切でない「感情」にかられて、犯罪を犯してしまったり、自殺してしまうといったことが人間には見られます。これは明らかに、記憶と「感情」が深く結びついている人間ならではのことで、このような「感情」の暴走をどうにかするためにこそ、「理性」という機能が働くのだと思います。

つまり、「理性」とは「私の今いる現実」と深くリンクしているわけです。「感情」が「私の今いる現実」と無関係に活性化できるために、「理性」がそれを制御できないと、困ったことになりうるわけです。これを一番よく示しているのが、夢の中での「感情」です。

夢の中で「感情」を抱くことがあるのは、多くの人が経験しているとおりでしょう。夢の中で正体不明の「敵」に襲われて恐ろしくなったり、空が飛べて楽しくなったり、級友に出会えて喜んだりすることは、よくあることです。確かに夢の中では「感情」を抱きます。では、「理性」はどうなっているでしょうか?

個人的な見解ですが、夢の中で「理性」はほとんど働いていないようです。もしも私が夢で「理性」を働かせることが出来れば、間違いなく自分が夢を見ていると見抜くはずです。あまりにも夢の中で起きることは、おかしなことが多すぎますから。

しかし、夢の中ではどんなことが起きても、あっさりと受け入れてしまいます。母が男になっていた夢を見ても、「あれえ…でもそうだったよな…お袋は昔から男だったんだよ…」などと、信じがたいほど馬鹿げた判断をしてしまいます。「理性的」とはとうていいえません。

夢の中でも「感情」はあるのに、その暴走を抑えるための「理性」が働かないのはなぜか。それは、夢だからでしょう。「理性」は、私が「今いる現実」とリンクしていなければいけないのですが、私が「今いる現実」は布団の中で寝ているだけです。だから「理性」も眠っていてよいのです。「感情」が暴走し「私」が何をしようと、しょせんそれは夢の中の出来事ですから。

それにしてもこの、「理性」という「手綱」がなくなると、現実から乖離して「私」を暴走させたりする「感情」とはいったい、何の役に立つのでしょう。全部の理由は不明ですが、一部の理由は説明できそうです。長くなってきたので、また来週にでも考察を続けたいと思います。