心理ハック
106 トリックスターとアイデンティティ

思春期というのは、何かと「厄介な時期」とされます。何かとというのは俗に「アイデンティティの確立」という課題を、この時期背負いがちだからなのですが、この「アイデンティティ」がそもそも何を意味しているのか、私はいまだに納得のいく説明を聞いたことがありません。つまり、「確立」をめざせと言われながら、あるいは「確立」をめざそうとしていながら、実際には何をめざしているのかが、よくわからないのです。
私の知人は、アイデンティティをもっぱら、社会的な認知に置いていました。そういう考え方もあるでしょう。しかしたとえば私が、「カウンセラー」としてアイデンティティを社会的に確立し、毎日一定の人に「必要とされ」て、その収入によって人の世話にならずに生きて行けたとします。
いわゆる「思春期」の頃に、特に社会的認知に重きを置く人であれば、これですっかりスマートに生きていけるし、それに不平を抱く必要があるだろうか?という風に思うでしょう。けれどおよそ三十前後に至れば、この「社会的自己」をみんなに認められたからと言って、それで自己実現を果たしたとは、決して感じられないことに気づくはずです。
一方で、思春期にしてこの問題を鋭く意識して、非常に難しい心理状態に陥る人もあります。「社会的自己」などというものが、本当の自己ではないことを強烈に意識するために、社会的な認知が絡むと、それだけで拒否反応を示すのです。
特に、作家さんや画家さんが、この意識を強く前面に押し出して、周囲を「引かせる」ことがあります。「べつに自分は、他人を満足させようとして、ものを書いてるんじゃない。自分が満足できないで、人を喜ばせるために作品を作っても、それにはなんの価値もない」というような主張です。彼らはおそらく、本気でそう思っているのではなくて、ともすれば他人の満足におもねかねない、内心の「裏切り」を戒めているのです。
ここで、「裏切る」のがトリックスターです。念のために申しますと、他人を喜ばせようとするのがトリックスターなのではありません。トリックスターというのは、変化自在なのです。自分が「我が道を行くぞ!」とすれば、我が道をいかせまいとしますし、自分が他人の顔色をうかがいながら生きていれば、他人のカンに障るようなことを、わざわざやろうとするわけです。
人はこれを「バランス感覚」と評するかもしれません。しかし多くの場合、トリックスターはバランスを取ることを意図してすらいません。人間、Aという力に訴えれば、アンチAが必ず働くものです。大脳生理学的に言えば、何かに注意を払おうとするとき、注意の妨げになるような脳活動を、抑えこうとします。抑え込もうとすれば、抑え込まれまいとするのが、生理の特徴でしょう。
こうして私達の中には、成功に向かって努力を続けようとすれば、すぐに漫画を読み出そうとする衝動が働きますし、時間を厳守して生きようとすれば、期せずして大失敗をやらかしてみたくなるような、そういう原理が動き出すわけです。次の例は、なかなか興味深いでしょう。
私のところへ相談に来る高校生のクライエントは、実に正確に時間を厳守する人であった。それも真にみごとというほかはなく、約束の時間になったまさにそのときに呼び鈴が鳴るのである。あまりのことに感心して、彼が時間をよく守ることを指摘すると、彼は喜んで時間厳守がどれほど人間にとって大切なことであるかを力説し、自分あなたはそのためにどれほどの努力をはらっているかを説明した。感心した私は「それじゃ、貴方は今まで遅刻欠席全然なしという生き方をしてこられたのですね」というと、彼も釣られて、「ええ、私は遅刻欠席ぜんぜん……」と言いかけて絶句してしまい、われわれは顔を見合わせふて噴き出してしまった。というのはこのクライエントは実は学校恐怖症で、学校をよく休み、そのときは三年もおくれていたからである。私は無意識のうちに彼の一番痛いことに言及しでいたのである。
この高校生が学校恐怖症になった原因はほかにあるが、それを回復困難にする理由のひとつに、彼の完全癖があった。彼は一日欠席すると、それをカバーしようと思って家で勉強する。しかし、あまりにも完全にしようとするのでどうしても全部することができず、次の日も休んでしまう。結局そのようなことが繰り返されて欠席期問が長くなってしまうのである。
ところで、彼のこのような完全癖は面接時の時間厳守となって示され、そのとき私は彼の生真面目さに感心するあまり、思わず「遅刻欠席ぜんぜんなし」といい、彼さえそれに釣られて思わず肯定しようとしたのであった。そこで、私は「あなたのようにそこまで熱心に遅刻しないように心がけておられる人が、他人よりも三年もおくれてしまい、それに反してあなたから見れば遅刻をしたりしていいかげんの人生をおくっている人が普通に進級してゆけることをどう考えますか」と言った。つまり、この事実によって彼は自分のひたすら完全を求めて生きている生き方には、実に大きい欠陥のあることを認識することができたのである。
ここで、二人の間に「笑い」が生じたことも注目すべきことである。彼も私の表現に乗せられて「遅刻欠席ぜんぜんなし」と言おうとしたことが非常におかしかったのであろう。もちろん、彼の完全癖が彼の学校恐怖症の一因であることは誰にでもすぐ解ることである。しかし、それを彼に指摘したり忠告したりしても、なかなか事態は変わるものでない。実際、忠告によってのみ人が変わるのなら、心理療法家などという職業は不要かもしれない。無意識に生じたトリックスターの働きによって、治療者とクライエントが笑いを共有するとき、そこに世界の突然の開示が体験される。
河合隼雄『影の現象学』
かなり長く、それも中略せずに引用しましたが、「やる気の問題」というものが、内面から細かく見ていくと、結構複雑な要因を絡ませていることがよくわかります。ある状況において、「やる気を出さなければいけない」ことは誰にでもすぐわかることですが、完璧主義をあきらめるのが難しいように、わかればすぐにできるというものではないわけです。








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