心理ハック
092 二重人格「イヴ・ホワイトとイヴ・ブラック」

今日は、かの有名な二重人格のエピソード。イヴ・ホワイトとイヴ・ブラックです。ここまで話が典型的となりますと、むしろ嘘くさい感じすらするほどです。
仮に多重人格や二重人格を、頭から疑って抱える方がいても、私は違和感を持ちません。実は私も、かなりの程度「頭から疑ってかかる」方です。ただ、「記憶喪失」(健忘)という心理現象は、ちょっと疑い得ないものです。事例が非常に多い上、「アルコール摂取過多」のせいであったとはいえ、私自身ちょっとした健忘を、体験しているからです。
自分の記憶が「完璧に抜け落ちた」(すなわちその「時間帯」が意識の中に存在しない)のに、他人がその時間帯における、「私」の振る舞いについて知っている。それはもう、ある種の「多重人格」です。言ってみれば、他人が知っている「私の人格」とは、限定された時間帯における、一貫した人格のことであって、私の知る「私の人格」とは、それら限定された時間帯における、一貫した諸人格を、記憶によって繋いでいるだけ、とも言えるわけです。
ここでのポイントは、何と言っても「記憶」です。「まるで別人のよう」に怒り狂ったり、悲しんだとしても、本人がそのことをはっきり覚えていて、「原因-結果」も自分なりに合理化できるのであれば、それは「他人格」とは感じられません。私が「私の中の他人」を感じるとすれば、それは、私の知らない記憶と、私の意図しない自己表現を、私が予測できないところから、なし得る場合だけです。
イヴ・ホワイトとイヴ・ブラックについていえば、この「二人」は極端なほど偏っている上、メインの人格(最初はイヴ・ホワイト)のほうは、ブラックという人格を知らない点からも、通常の「まるで別人のよう」のレベルをまったく超えています。
そもそも、このイヴ・ホワイトという人そのものが、あまりにも極点です。「そのつつましさからうける感じでは、彼女の眼がかつて一度でも楽しい思いに輝いたことがあっただろうか、一度でも冗談を言ったことがあったろうか、いや幼い頃何かのはずみで癇癪を起こして他の子をいじめたことが一度だってあったろうかとさえ疑われるほどであった」し、「つつしみぶかく、控えめで、ある点では聖女に近い」のです。
こういうタイプの何が問題かと言って、近づいてくる人間です。凹凸がくっつきやすいように、共依存という関係が成立しやすいのは、たいてい極端なタイプ同士です。一方が、「癇癪を起こしたことが生まれて一度もない」ほどであれば、そういうタイプを切望するのは、ある意味で、はなはだ不誠実な男であることが、多いものです。
フロイトは、あまりにも「忘れること」について意味づけをしすぎました。私達の脳は、「柔らかい」ものです。外界の刺激が刻一刻と変化するのに歩調を合わせ、刻一刻とその形を変えていきます。要するに言ってみれば、出来事の大半を忘れ去っているのです。そこにはほとんど意味がありません。私は今週の日曜日、東京を歩いて、無数の人を見てきました。一度は頭に入ったであろうその人たちについて、ほぼ完璧に忘れています。この健忘にどんな意味があるでしょう?覚えておく方が、よっぽど異常です。
しかし、明らかに当人にとって、重大で深刻な「意味のあるもの」まで忘れ去っているとすれば、そこには何かがあるかもしれません。たとえば、近所のおじさんが両親のいない日にやってきては、何かを買ってくれる代わりにと言って、何か妙なことをしていくなら、そしてそのことがとてもイヤな思い出で、なのにすっかり忘れ去って大きくなったとしたら、たしかにそこには、忘れようという強い意識が働いた可能性があります。
イヴ・ホワイトとイヴ・ブラックが「忘れていたこと」は、そういった意味のことではなかったけれど、結局の所、「抑圧」を強く働かせすぎていることは、ホワイトの性格からして明らかです。人間は、どんな人間でも、怒りの感情や歓喜の激情を体験するもので、そういった感情を喚起しそうな体験もろとも表出しないようにすれば、それらの激情にまつわるような体験は、側座に忘れ去られてしまうでしょう。が、「忘れ去る」と言っても「激情」するほどのことを体験しているのに、脳や心がそのことを側座にクリアするなど、まずあり得ないことなのです。
あるいは、こう考えてもいいかもしれません。人間の脳は、コンピュータなどではありません。むしろ、グミほどにも柔らかな、粘土のカタマリに似ています。激情を起こすほどの体験というのは、その粘土に加わる強い圧力のことです。ふつうの人の場合、ひとかたまりの脳全体が、「圧力」うけて変形する(これが記憶)のですが、イヴ・ホワイトは、自分の脳の形(これが人格)を保守することに、ものすごくこだわっているために、やむを得ず脳の一部分だけが「圧力」の影響を受けて、変形してしまう。そのため、いびつに変形された部分と、脳全体の形との乖離が大きくなりすぎて、「記憶」が一続きにならないと推理できます。
こうして、ホワイトが「忘れ去った」記憶を引き受ける人格が、「イヴ・ブラック」ということになります。そんな激情体験を引き受けていく以上、ホワイトのように「感じやすく」てはとてもやっていられません。ブラックはそういうわけで、「その性格は抜け目なく、見栄っ張りで、自己中心的である。遊び回ることが大好きで、まったく無責任な性格」なのです。
怒りにせよ、激情にせよ、あるいは「無責任」にせよ、全て自分の人生を変えていくための意味を持っています。他人に怒らず、責任を一手に引き受け、胸にしまい込んでは、忘れ去るホワイトの時間は、まるで止っています。しかし、その間にも、色々なことが起きるのです。たとえば、夫のラルフとの関係です。結婚生活には複雑な面があるように、ホワイトはラルフに立腹することも、文句を言いたいことも、離婚したくなることさえ、あったはずです。そこを我慢していつも「聖女のよう」にしていたのでは、関係の問題点はなかなか見えてきません。
が、ラルフがどのような人間であるか、イヴ・ブラックが現れることで、ホワイトも知らざるを得なくなります。つまり、ラルフはブラックに興味を持ち、ホワイトとの「約束」を破ってブラックを誘惑してしまうのです。これにホワイトは、当然ですが激怒します。これは大きな転機となります。「聖女」が「激怒」したのですから。
このお話は来週も少し続けますが、焦点はつまるところ、記憶なのです。私達は、どんなに優秀な頭脳を持っていたとしても、あらゆる記憶に公平にアクセスできるはずもありません。なかには、あるにはあるがまったくアクセスされない記憶も、持っているでしょう。その記憶が、ただ単に「重要でない」からアクセスされないのなら、当然です。しかし、アクセスしにくいシステムを、訳あって構築したとすれば、それが「影の病」と関係しているかもしれません。








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