心理ハック
019 ゲームの快楽
とくに反射神経を競うタイプの、「アクション・ゲーム」とか「シューティング・ゲーム」のようなゲームと、「ロボット」の関係は極めて深いものがあります。敵をよけたり、ミサイルをよけたり、暴走車をよけて、
速い展開の中で自分が「死なない」ように技を磨くタイプのゲームです。
この手のゲームから得られる快楽は、たった一つにつきます。成長した「ロボット」の能力を、自分の目で確認していけるところです。
成長した「ロボット」の能力とは、つまるところ自分自身の能力に他なりませんから、それを見て自分が良い気分になるのは、ごく当然と言えます。
面白いと思うのは、「ゲーム」でなくともたとえば「スポーツ」の際にもしばしばありますとおり、「自分じゃないみたい」
なパフォーマンスを、「ロボット」が時々してみせることです。エイブラハム・マスローというアメリカの古典的な心理学者が、セックスや、
非常に難しい数学の問題を解けたときに訪れる、「至高体験」という得も言われぬ喜びについて、研究しました。
オーガズム体験とも名付けられています。それと似て異なるものとして、「ピーク・パフォーマンス」という言葉があります。
これは、オリンピックの体操選手などが、練習中には出来なかったような演技を、本番にはやり遂げてしまうような事柄を、指します。
「ロボット」というのは、演技の妨げにならない限界において、最高度の緊張感や集中力の中で、
想像も出来ないような演技を見せることがあります。
「想像する」のは「私」です。「私」の「想像を超えた」ようなパフォーマンスを、「ロボット」が見せるというのは、
言葉の厳密な定義からすると、矛盾しているようでありますが、多くの人が実感として、そういう体験を持ったことがあると思います。
子供の生活は、どんなに家庭環境が理想的でも、あるいはいささか甘やかされていても、
結局のところ非常に制限的ですから(世界は大人のものですから)、いきおい、テレビ・ゲームのような仮想冒険世界の中で、自分の「ロボット」
をとことんレベル・アップさせていこうとしやすいものです。他の行為の中でも同じ事が出来ても、子供は子供心の中で、「客観的な」
評価を求めています。
この点で、子供が欲しいのは、目に見える「成長」なのであって、「自分が有能だ」という意味では、必ずしもないようです。
勉強が苦手な子供はもちろんのこと、たとえ勉強の良くできる子供でも、テストよりはテレビゲームの方が好きなものです。それは、「テスト」
は「自分を磨く困難」である一方、ゲームは「遊びにすぎない」からではなかったように、思います。
私自身の記憶でいえば、テレビゲームというのは、非常に難しいものでした。シューティング・ゲームの第6ステージあたりとなりますと、
状況の予測できない点、その速度、迷路の複雑さ、どれをとっても、二桁の分数のかけ算よりは、遙かに難しい。その証拠に、
二桁の分数のかけ算は、多くの大人にこなせますが、私が子供の頃にやっていたようなシューティング・ゲームを母親にやらせてみても、
あっという間に死んでしまうし、何度やらせてもいっこうに成長しません。
しかしながら、「テスト」で自分の「成長」をはかるわけにはいかないのです。出来る問題は出来るし、出来ない問題は出来ない。これは、
出来る子にも出来ない子にも、同じように「変化の乏しい問題」なのです。テレビ・ゲームの極めて象徴的なところは、とにかく「成長」
が速いことです。繰り返し繰り返し、飽きずにチャレンジするせいもあって、ものすごい高速に「神業」がくり出せるようになります。ここに、
かなり強い快楽が潜んでいるのは、明らかです。
これに比べれば時間がかかるとはいえ、やはり子供が好むのが、「スポーツ」です。要するに同じなのです。
自分の成長ぶりを顕著に実感できるものとして、ゲームほどではないにせよ、スポーツも非常にわかりやすい分野です。はっきり言ってしまえば、
じつは大人だって同じでしょう。テニスが趣味という大人に比べれば、数学が趣味というのは、トルストイの小説に出てくるくらい、
まれな存在です。
実のところ、明白に「頭脳」に関わる「ロボット」の成長を、実感するのはなかなか難しいことです。「英語」とか「科学」とか「数学」
であっても、「テニス」程度に面白くすることは出来ると思うのですが、問題なのは、フィードバック、つまり「成長している」
という実感を得るのが難しい。
「テニス」はうまくなったかどうかが、非常にわかりやすいのですが、「頭」が良くなったかどうかは、非常にわかりにくい。「テレビ・
ゲーム」でも、自分がうまくなっているのは子供にでも分かるのですが、自分が「数学」的に能力が上がっているかどうかを、「実感する」
うまい方法というのは、それほどではないのです。
人類は、たぶんその「頭脳ロボット」を成長させているという快楽を得るために、盤上ゲームというものを開発しました。将棋、チェス、
囲碁、オセロ、等々。これは、「自分の実力が上がったこと」が、「結果」となって顕れます。
「将棋」は「定石」を暗記すれば強くなるし、「化学」も「元素記号表」を暗記すればすごくできるようになるから、「能力」
とはいっても「暗記」ではないかといわれるかもしれませんが、「能力」とは、なんにせよ最大の比重が「記憶」にあります。そもそも、
「テニス」でも「運転」でも、「どう体を動かすか」を「記憶」してから始まることです。これを「手続き記憶」といいます。
「将棋」も「数学」も同じように「ロボット」の活躍するところ大です。9×8=72に、「能力」
を発揮するところがあるようには感じられずとも、この「能力」がなければ、その先の数学は不可能です。
そういう意味で、「数学」や「英語」用の効果的なゲームが欲しいところですが、それを作るのが難しいことは、
今あるゲームの効果が今ひとつ乏しいことでも分かります。「のめり込む」事が難しいのです。そしてまた、「達成していく」
実感に乏しいこともあります。しかし、理屈の上では、やればやるほど出来るようになるうえ、「自分が障害を克服できる」
という実感が得られればのめり込むのが人間ですから、面白い「英語ゲーム」が作れないとは思えないのです。
27-やる気とグズの心理学 とくに反射神経を競うタイプの、「アクション・ゲーム」とか「シューティング・ゲーム」のようなゲームと、「ロボット」の関係は極めて深いものがあります。敵をよけたり、ミサイルをよけたり、暴走車をよけて、速い展開の中で自分が「死なない」ように技を磨くタイプのゲームです。 このゲー…






